佐賀城下(晒橋〜善左衛門橋)
・晒橋
名の由来は橋の上で罪人を晒し者にしたからとも、この場所で反物を晒したからとも、言います。欄干の灯篭の柄の部分をよく見ると・・・?
街道はこれより呉服元町・白山アーケード街に入ります。とは言ってもアーケードは老朽化のため撤去され、白山に一部残るのみですが・・・
写真のえびす様は道標と共にたくさんの旅人を見守ってきたのでしょう。
佐賀城下に残る武家屋敷門では最大。『〜小路』の名前がつく通りは、武家屋敷が並んでいました。
護国神社の西北に架かる橋です。宇野善左衛門が自費で架橋したため、現在もそう呼ばれています。橋は明治時代に一部改修されていますが、橋脚は当時のものです。
毎年2月11日の『玉替え』の日は多くの参拝客が訪れます。境内には佐賀に特徴的な肥前鳥居・肥前狛犬があります。参道の伊勢屋町はかって旅籠街であり、旅人の宿泊場所でした。
・北面天満宮
六座町には穀物座、木工座、金銀座など6つの座(商工組合)がありました。この神社は六座町の守護神として建立されました。