佐賀城下(晒橋〜善左衛門橋)


・晒橋

晒橋

名の由来は橋の上で罪人を晒し者にしたからとも、この場所で反物を晒したからとも、言います。欄干の灯篭の柄の部分をよく見ると・・・?




街道はこれより呉服元町・白山アーケード街に入ります。とは言ってもアーケードは老朽化のため撤去され、白山に一部残るのみですが・・・
写真のえびす様は道標と共にたくさんの旅人を見守ってきたのでしょう。


・願正寺
願正寺

佐賀城下には本陣(藩主や幕府重役の宿泊施設)がなかったので、この願正寺が仮本陣として使われました。私が訪れたときは、枝垂桜が見事に咲いていました。


・武家屋敷の門

佐賀城下に残る武家屋敷門では最大。『〜小路』の名前がつく通りは、武家屋敷が並んでいました。


・善左衛門橋

善左衛門橋

護国神社の西北に架かる橋です。宇野善左衛門が自費で架橋したため、現在もそう呼ばれています。橋は明治時代に一部改修されていますが、橋脚は当時のものです。


・伊勢神社
伊勢神社

毎年2月11日の『玉替え』の日は多くの参拝客が訪れます。境内には佐賀に特徴的な肥前鳥居・肥前狛犬があります。参道の伊勢屋町はかって旅籠街であり、旅人の宿泊場所でした。


・北面天満宮



六座町には穀物座、木工座、金銀座など6つの座(商工組合)がありました。この神社は六座町の守護神として建立されました。


・築地反射炉跡
築地反射炉跡

長崎警護の任務を任されていた佐賀藩は、いち早く洋式大砲製造の必要性を察知。1850年、日本で初めての反射炉を築きました。
ペリーが浦賀に来航すると幕府はようやく海防の重要性を認識し、当時最も優れた技術を持つ佐賀藩に大砲鋳造を依頼しました。
現在、反射炉跡地は小学校になっており、校庭の一角に記念碑があります。


・諫早渡海場分岐点


長瀬町のこの道標を南に向かうと、西与賀の港に至ります。そこから乗船し、海路諫早を目指す旅人も多かったと聞きます。


八戸へ進む

柳町に戻る

長崎街道トップへ