田手宿

田手川に近づくと田手宿に入ります。佐賀の乱の戦いはこの田手川を挟んでの戦闘が、最も激しかったといいます。激戦地にあった田手宿には当時を偲ばせるものはありません。
ただ石碑だけが、後世に歴史を伝えようとするかのごとく立っています。








 
 神埼宿

神埼宿は長崎街道25宿の中でも重要な宿場として整備され、藩主などが宿泊する本陣(眞光寺などの寺院が使われた)が設けられました。
当時は宿場町として大変にぎわったようですが、佐賀の乱の戦火で櫛田宮などいくつかの寺社をのぞき、全焼してしまいました。



・ひのはしら一里塚
田手川を渡り神埼宿へと向かうと、こんもりした塚が見えてきます。
これが長崎街道で唯一残っている一里塚です。












・櫛田宮
1900年ほど前この地には荒ぶる神がおり災いをなしていましたが、景行天皇が荒ぶる神と和を結び、この地を神崎郡と名づけました。
そのときに造られたのがこの櫛田宮だと言われています。以来、この地の信仰の中心となりました。私が訪れたのは2年に一度の大祭、みゆき祭が行われる直前でした。













・西の木戸口
神埼宿は西と東に木戸口があり、旅人は跳ね上げ式の木戸をくぐって出入りしたといいます。







 境原宿

境原宿は現在の原の町辺りに存在していましたが、明治7年の佐賀の乱で全焼してしまい、当時を偲ぶものはほとんど残っていません。

写真の若宮神社はかつて旅人が安全を祈願していたといいます。佐賀に特徴的な肥前鳥居と肥前狛犬が存在します。鳥居の形をよく見てください。微妙に違いますね。


肥前鳥居



肥前狛犬




「是より西佐嘉郡。是より東神崎郡。」
この石碑を過ぎると、佐賀城下はもうすぐです。

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